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古代の暦で楽しむ 万葉集の春夏秋冬

東 茂美(著)

四六判  228頁 並製
定価 1,500円+税
ISBN 978-4-305-70705-5 C0092
在庫僅少

奥付の初版発行年月 2013年11月
書店発売日 2013年11月12日
登録日 2013年10月18日

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解説

暦、おそるべし。万葉の和歌の新しい楽しみ方を伝授。万葉の時代とは、すでに大陸の暦法が大いに用いられる、暦の時代でもあった。万葉びとの春夏秋冬の歌を、当時の暦のなかにすえて鑑賞する。

紹介

万葉歌の新しい楽しみ方を伝授。万葉の時代は大陸の暦法が用いられる暦の時代でもあった。万葉歌を当時の暦のなかにすえて鑑賞する。

暦、おそるべし。万葉の和歌の新しい楽しみ方を伝授。
万葉の時代とは、すでに大陸の暦法が大いに用いられる、暦の時代でもあった。万葉びとの春夏秋冬の歌を、当時の暦のなかにすえて鑑賞する。

目次

はじめに

●春
初子の玉箒【1月】
 初子の祝い歌
 古代中国の正月
 手辛鋤と目利箒
 家持多忙
 白馬節会と仁王会

釈奠【2月】
 中春は陽気にあふれて
 孔子をまつる典礼
 釈奠の祭文
 慶雲二年の釈奠

上巳の宴【3月】
 三月三日の節会
 『懐風藻』の上巳詩
 中国の上巳節
 上巳節の舟遊び
 邪気をはらうモモ

●夏
鷹を養生する【4月】
 鳥狩の東歌
 鳥狩は大陸からの伝来
 家持の鷹の歌

五月は悪月【5月】
 端午の節句
 悪月のエピソード
 薬玉でよそおう
 蒲生野の薬猟

瓜と蜂蜜【6月】
 瓜を収穫する
 瓜食めば
 蜂蜜の採取
 日本の養蜂
 ハチをうたう

●秋
力人たちの節会【7月】
 力士、鯨太左衛門
 熊凝の死
 熊凝哀悼の歌
 相撲の起源
 「犬じもの」とうたう悲しみ
 
学校へ行こう【8月】
 中秋の入学式
 不出来な子どもほど
 万葉の学校事情
 単位取得のための試験と休暇
 教師のレベルを問う

重陽【9月】
 重陽の節句
 菊花酒の意味
 登高の行事
 登高の万葉歌

●冬
維摩会【10月】
 仏前の唱歌
 維摩会
 維摩居士の病
 維摩を敬慕する

新暦の頒布【11月】
 暦のある日常
 暦の伝来
 持統三年の具注暦
 人麻呂の日並皇子挽歌

新嘗の祭【12月】
 富士山と筑波山
 新嘗の東歌
 新嘗会の宴の歌

●年中
万歳を唱和する【年中】
 千秋万歳の頌歌
 万歳のはじまり
 万葉びとと万歳
 万歳と『万葉集』

おわりに

前書きなど

「はじめに」より

 万葉歌には、仁徳天皇や雄略天皇の作(*1)といった四、五世紀の歌もあるけれど、その多くは八世紀の平城京を舞台にうたわれたらしい。ひろく知られるように、唐の帝都長安を中心とし、東アジアの各国でいとなまれた文化都市のひとつが平城京だったのだから、万葉の人びとの暮らしも歌も、そうした東アジアの文化のなかで眺ながめてみる必要があるだろう。

 たとえば、暦法。明治五年(一八七二)にグレゴリオ暦(*2)が採用されるまで、元嘉(げんか)暦をはじめ、儀鳳(ぎほう)暦、大衍(だいえん)暦、宣明(せんみよう)暦など、さまざまな暦が朝鮮半島をへて、中国から将来されている。くわしくは後述したいが、元嘉暦は、五世紀中葉、宋の何承天(*3)が編んだ暦で、百済(くだら)から伝えられた。欽明天皇一五年に、暦博士の固徳王保(ことくおうほうそん)孫が来日。さらに推古天皇一〇年(六〇二)には、僧観勒(かんろく)が来日し、暦法を教授している。

 推古のあとを継ぐのは舒明天皇。舒明といえば、万葉の時代を築いた天智・天武両帝や持統女帝の父であり祖父である。舒明朝がいわば万葉の黎明であったことは、巻一の「香具山に登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌うた」(巻1二)や「宇智(うち)の野に遊猟(みかり)する時に、中皇命(なかつすめらみこと)、間人連(はしひとのむらじ)老に献らしむる歌」(巻1三、四)などがつぶさに語るところ。そうなら、万葉の時代とは、すでに大陸の暦法が大いに用いられる、暦の時代でもあったのだ。すこしおおげさにいうと、万葉びとの春夏秋冬の歌は、もっと当時の暦のなかにすえて鑑賞すべきではないだろうか。

 まずは、つぎのような万葉歌を話題にしてみよう。

  月数めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか (巻20四四九二)
  暦のうえではまだ冬だ。それなのに霞がたなびいている、春到来ということだろうか。

 天平宝字元年(七五七)一二月二三日、大伴家持がうたった春の歌。友人である大原今城(いまき)(*4)の館で宴がひらかれ、そこでうたった一首である。「しかすがに」は逆接の表現で「それなのに」、の意。暦を見るとまだ冬なのに、なぜ春がやって来たというのだろうか、と疑問を投げかけるポーズである。

 じつは、この年の一二月一九日が年内立春の日にあたっていた。歳の暮れに立春だとさわがれても、なんだか腑におちないけれど、それは現在の太陽暦になれてしまったわたしたちの感覚なのだ。

 旧暦では、どうしても一年の長さが一週間ほど短くなってしまう。そこで、季節とのズレを、一九年に七回ほど閏月(うるうづき)を入れ込むことで調整した。つまり、一年が一三か月になり、正月は一か月おくれ、その年は年内に二四節気(せつき)(*5)のひとつである立春がおとずれる。だいたい二年に一度は年内に立春がやってくるので、別段、日常の暮らしに混乱が生じるわけでもない。したがって、家持は暦法のうえでのズレ、冬と春の対比をうたって楽しんだのだろう。『万葉集』は大原今城宅での宴の歌として、家持歌の一首しかのせていないが、もちろん家持ひとりが歌を披露したはずはなく、年内立春を話題に、宴の席はにぎやかにもりあがったにちがいない。

 「月数めば」の「数む」とは、声に出して数をかぞえる、の意。ここでは、暦を見て、今はまだ一二月で季節が冬であるのを確認することをいうのだろう。家持たちが見ていた暦は、儀鳳暦である。持統天皇(*6)四年(六九〇)に採用され、淳仁天皇(*7)の天平宝字七年(七六三)まで七四年間にわたって用いられた。それまでの元嘉暦とちがって、新月がかならず朔日(さくじつ)(ついたち)になるようにひと月をさだめた、すぐれものだった。すぐれものだったから、『日本書紀』に見られる、神武を初代天皇とする上古の年月は、この儀鳳暦でもって計算されてもうけられたらしいのだ。新しい暦法が、太古の歴史を創ってしまう。暦、おそるべし。

 こうして見てくると、有名なつぎの歌も、また楽しく鑑賞することができるのではないだろうか。

  新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 (巻20四五一六)
  新しい年の初めの正月の今日降る雪のように、もっと積もれ吉よきことよ。

 いうまでもなく『万葉集』最終巻末の歌。口語訳を必要としないほど平易で、「年の」「初めの」「初春の」「降る雪の」と、「の」の音がくりかえされ、いかにものびやかなリズムで、賀歌の賀歌たるうたい口となっている。「吉事」と末尾を体言で結び切って、かえって歌の響きにひろがりがある。

 この歌も家持の作。題詞には「三年春正月一日に、因幡国庁にして饗を国郡の司等に賜ふ宴の歌一首」とあり、天平宝字三年(七五九)の正月のこと。家持は、前年の六月一六日に国守となって赴任しているから、天平宝字三年正月とは、因幡では初めて迎えた新春である。元旦(歳旦ともいう)を迎えた国庁に国や郡の官人たちを招いて、宴をもうけた(*8)のである。

 『律令』「儀制令」によると、「凡そ元日には、国司皆僚族郡司等を率ゐて、庁に向ひて朝拝せよ。訖をはりなば長官賀を受けよ。宴設くることは聴ゆるせ」とあって、国守は朝賀を受け、その儀式ののちに宴があった。これはれっきとした公式行事である。

 「今日降る雪の」は序詞で、「いやしけ吉事」を導き出しているとするのが一般的なのだが、この表現には注目したい。「いやしけ吉事」でなく「いやしく吉事」なら、なるほど通常の序詞と同じように理解してよいのだろうが、家持がうたうのは、あくまでも「いやしけ吉事」で、命令形。そうすると、「雪が降りしくこと」そのものが「吉事」であることになる。天空から降り、やがて地表を白一色で蔽ってしまう雪は、慶事であり瑞兆(ずいちよう)なのだ(*9)。

 それにしても、歳旦のセレモニーなのに、集まった官人たちを前に、「新しき年の初め」「初春」「今日」と重ね、わかりきった歳旦の「今日」をうたうのは、ややしつこくないか。どうやら家持の「今日」には、もうすこし留意してよさそうだ。

 この年、つまり天平宝字三年の一月一日は、暦のうえで元旦であるとともに、じつは二四節気の初めである立春が重なる「今日」だった。これを歳旦立春というのだが、旧暦の万葉時代には一九年に一度、一生に二、三回、たとえ長寿だったにしてもせいぜい四回あるかないかの、たいそうめでたい日なのだ。家持の歌は、こうした暦日を意識した賀歌なのである。

 だからといって、家持だけが歳旦立春を意識していたわけではあるまい。旧年一一月には、陰陽寮が発行する暦が、中央官庁とともに全国の地方の政庁へも一斉に頒布され、下部機関の部署は、その原本をせっせと写し取って、公務に活用した。因幡の政庁に集った官人らも、「今日」が例年にはない「歳旦立春」の吉日であるのを、じゅうぶん知っていたことだろう。

 新年の初めであり、月の初めであり、日の初めであり、重ねて立春。まことにめでたいかぎりである。歳旦立春の「今日」、さらに重ねて豊作瑞兆の雪まで降ってきたのである。降る雪よ、降る雪よ、もっと積もれ。積もれ、積もれ、吉よきことよ。弥いや栄さかを祈ってうたう家持の声が、雪景の因幡国から聞こえてくるようだ。

 さあ、わたしたちも暦を手にしながら、万葉の春夏秋冬を楽しもうではないか。


*1 仁徳天皇や雄略天皇の作―こうした歌は、仁徳や雄略を主人公とする原始的な歌劇のなかでうたわれたものらしい。
*2 グレゴリオ暦―ローマ教皇グレゴリオ一三世が、一五八二年にそれまで用いられていたユリウス暦を改正して制定した暦で、四〇〇年に一〇〇回あった閏年を九七回とした。
*3 何承天―儒学や歴史学にすぐれ、ひろく学問に通じていた。武帝のときに御史中丞(監察官)。機密文書をもらした事件に連座して罷免されている。元嘉暦以下、古代の暦について、くわしくは本書「新暦の頒布」で。
*4 大原今城―今城王とも。父は穂積皇子、母は大伴坂上郎女ではないかともいわれている。もしそうなら、家持とはいとこ同士になる。
*5 二四節気―陰暦で一年(のちに黄道)を二四等分した、立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒。
*6 持統天皇―天智天皇の第二皇女野讃良で、夫天武天皇についで即位(在位六九〇〜六九七)。
*7 淳仁天皇―舎人皇子の第七子で、大炊王。孝謙天皇の譲りをうけて即位し天皇となるものの、やがて孝謙上皇と対立し、天平宝字八年(七六四)廃位。淡路に流され幽閉された。
*8 歳旦の宴―天平八年(七三六)の「薩摩国正税帳」に国守以下六八人が、また天平一〇年(七三八)の「駿河国正税帳」に国守以下一一人が、それぞれ集まった記事がある。
*9 雪は瑞兆―周の隠公の時代、雪が一尺積もった年に、たいそう穀物がみのって豊作となった故事をふまえたもの。

著者プロフィール

東 茂美(ヒガシ シゲミ)
昭和28(1953)年、佐賀県伊万里市生まれ。成城大学大学院博士課程修了。博士(文学)。福岡女学院大学人文学部教授。著書に『大伴坂上郎女』(笠間書院・1994)、『東アジア万葉新風景』(西日本新聞社・2000)、『山上憶良の研究』(翰林書房・2006)などがある。

上記内容は本書刊行時のものです。

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